葬儀業界に私が入ってからというもの、いったいど
れほどの人のご葬儀に立ち会ったことでしょう。
わたし達人間の生の終わりには病死、老衰、事故、
事件、自殺など様々な最後があります。
どの最後も厳粛なものであって欲しいと願います。
中でも自殺の方のご葬儀は辛い。
一年間の事故死者の人数を、自殺者の数が上回って
からいったい何年経ったでしょうか。
生きる事自体が難しい後進国の人たちは
生きる事自体は易しい先進国の人たちが
なぜ自殺していまうのか理解できないそうです。
でも...私は分かる気がします。
生きるに生きられない...いったいなにが......
【自殺】という言葉が自らの頭をよぎった事のない
人はいるのでしょうか。
もしいるならば、その人は計り知れない偶然の中
で自分が気づいている以上の幸福の中にいるので
しょう。それか人間的な感情が欠落した人なのか
もしれません。
聞いたところによると、お釈迦様に一人のお弟子
さんがこう尋ねたそうです。
「この世を支配しているのは何なのでしょうか?」
お釈迦様は答えました、
『それは「こころ」だ』と。
町長でも市長でも将軍でもなく王様でもない。
妻...でもない。
誰もが持っているのに常に捜し求めている
「こころ」
が世界を支配しているというのです。
近頃、
自殺を自死と言い換えるようになってきました。
自分を殺すから自殺=殺人
自ら死を選択するから自死=尊厳死
大雑把にこのような考え方から成り立つ言葉なので
しょう。
お釈迦様が「こころ」がこの世を支配していると
言うのにはうなずけます。
私達は飲み食い、色々なものを欲しがり、様々な
事をやりたくなり、それによって喜び悲しみ怒り
嫉妬したりと振り回されます。
それは「こころ」が反応し求めるからです。
私達の身体がもしズタボロでも、養生し医療等の
力を借りて治療したならば、身体は回復するでし
ょう。
もし回復しない時があったとしても、死を迎える
までは確実に生きる事はできるのです。
でも逆はどうなのでしょう......
身体は健康でもこの世を支配している
自らの「こころ」が弱ってしまっていたとしたら。
生きたいのに生きられない...
心は繊細です。
気がついたらヒビが入っています。
人からよりも実は自分で傷つけています。
身体のように容易に修復できません。
この世を支配する「こころ」は、身体も当然支配して
いるでしょう。
であるならば身体は心なしには動かないというこ
とです。
別れ際に
「お心大切に、病気にならないようにね」
と言ったとしたら相手はどんな反応をするでしょ
う。
でもお釈迦様が言わんとするところは、おそらく
こういうことなのじゃないでしょうか。
なによりも「こころ」を大切にしなさい、しっかり
と見なさいと。
身体が弱ればいずれ私達は死を迎えます。ですがど
んなに病気で辛くても、健康でもいられるのです
心は。
それと同じように、心が弱ればやはり私達は死を
むかえます、どんなに健康だとしても...身体が。
最近思うのは、自殺とか自死とか言葉はともかく。
人が死ぬということは寿命なのではないのかと......
一概には言えませんが、
身体の寿命と「こころの寿命」
があるのではないか、ということです。
決して自分という人間を殺してしまうのではなく、
こころの天寿を全うされたということです。
ご遺族には正直おかけする言葉も見つかりません、
がしかし故人には心からお疲れ様でしたと、
精一杯命の花を咲かせ寿命を生きましたねと真心から
お伝えしています。
それが心からの私達のおもいです。
生命は心に導かれ、
心に管理されている。
心に言われるままに生命は生きていて、
心という唯一のものに全てを握られている
どうぞ皆様こころをお大事にお過ごし下さい、
そして誰にだってこころがあることをお忘れなく。
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